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(6)墨田区業平

2000.8.19.

前回に引き続き、関東の古代史関係のご紹介です。
今回は後編として、「墨田区業平」をご紹介します。

 実は、ここは当初の予定にはありませんでした。というより存在を全然知りませんでした。前回ご紹介した柴又へ行こうとして、その途中で気づいたんです。
 それもケガの功名。当日、神保町から柴又へ行こうとした私は、総武線で浅草橋まで出て、そこで都営浅草線に乗り換えてそのまま京成へ、という計算でしたが、総武線で居眠りしてしまいました(笑)。
 やむなく錦糸町駅からバスで押上駅へ行くことにしたのですが、バスの路線図を見ると業平橋の文字!もしやと期待してあえてバスを乗り越してみると、業平は商店街の名前にまでなっていて、大いに喜んだ、という顛末なんです。


「業平」が地名になってます


「業平」は商店街の名前にも

 なぜこんなところが「業平」なのか。これは、かの『伊勢物語』にくわしい、業平の東下りの一場面と関係があるだろうと思います。

 有名な場面で、学校の古典の授業などでたいていは教わっていると思いますが、念のため史料を引用します。『伊勢』とほぼ同内容で、よりシンプルで史実性も高そうな『古今和歌集』から引用します。

武蔵の国と下総の国との中にある、隅田川のほとりにいたりて、都のいとこひしうおぼえければ、しばし河のほとりにおりゐて、思ひやればかぎりなく遠くもきにけるかなと思ひわびて、ながめをるに、わたしもり。「はや舟にのれ。日くれぬ」といひければ、舟にのりてわたらんとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なくしもあらず、さるをりに、白き鳥の、嘴と脚とあかき、川のほとりにあそびけり。京には見えぬ鳥なりければ、みな人みしらず、わたしもりに、「これはなにどりぞ」ととひければ、「これなん宮こどり」といひけるをきゝてよめる

411 名にしおはばいざ言とはむ 都鳥 わが思ふ人は有りやなしやと

(岩波文庫『古今和歌集』112頁)

 隅田川は、武蔵と下総の国境でした。これは後の世も変わりません。上の地図にあるように、この少し下流には「両国橋」があります。あの、相撲で有名な「両国」ですが、ここに言う「国」とは武蔵国と下総国のことです。
 また、歌に「言(こと)とはむ」とありますが、これも地名になっています。「言問通り」という通りの名前に使われているのです。

 ところで、隅田川流域の中でなぜここが「業平橋」なのかですが、『角川日本地名大辞典』(13・東京都)によると、この橋の西詰に業平天神社があったことに因むようです。
 ただし、この神社は天台宗南蔵院の境内にあったのですが、昭和初年にこの寺が葛飾区へ移転した際、廃社になってしまったとのことです。

 すると、そもそもなぜここに業平天神社なる神社があったのかが最後に残る疑問となります。

 『江戸名所記』(1662)には、舟の故障で業平がここで溺死し、それを祭ってるという説が紹介されています。また他に、「成平」という相撲取りの墓説、「業衡」という武士の討ち死にした塚説も紹介されていて、当時すでに混乱していたようです(吉田東伍『増補大日本地名辞書』(初版明治36年))。
 言われてみれば、隅田川から離れているのも怪しいところですが、まあ、それもこれも話の種として、お近くの方は一度ご覧に行かれてはいかがでしょう?




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